鬼滅の刃20巻175話「後生畏るべし」のネタバレと感想・考察を紹介します。
前話174話で追い詰められた黒死牟は、久しく感じていなかった生命の危機から、縁壱に四百年前、同じ様に追い詰められたことを思い出します。
黒死牟との戦いはこれで決着となるのでしょうか。
鬼滅の刃175話「後生畏るべし」の内容を見ていきましょう。
鬼滅の刃20巻175話のネタバレ
黒死牟の決意
縁壱が目の前で死に、命拾いした黒死牟だったが、その心中は敗北感でいっぱいだった。
そして、その後何百年にも渡り黒死牟はその屈辱は味わい続けた。
最も優れた剣士である縁壱に斬られるならまだしも、他の剣士に負けるわけにはいかなかったのだ。
場面が変わると、行冥たちが一斉に今にも斬りかかろうとしていた。
その瞬間、雄叫びとともに黒死牟から放たれる無数の斬撃。
行冥と実弥はぎりぎりで躱したものの、無一郎は胴を切断され、玄弥は体が縦に真っ二つになってしまう。
黒死牟は体中から無数の刃を突き出し、その刃で斬撃を放ったのだ。
渾身の力
無一郎は、上半身のみになりながらも、黒死牟に刺さったその刀を決して離さなかった。
そして最後の力を振り絞り、刀にありったけの力を込める。
するとなんと無一郎の刀の刃がみるみるうちに赤く変わっていった。
それに黒死牟は今まで味わったことのないような激痛を覚える。
その隙を見逃さず実弥が、首を斬りかかるがよほど硬いのか、斬ることができない。
鬼化の影響で、体を真っ二つにされながらも生きていた玄弥。
黒死牟の体にまだ残っている銃弾を使い、再び血鬼術を繰り出す。
厄介に感じた黒死牟は、玄弥にとどめを刺そうとするが、技が出ない。
そこへさらに行冥の鉄球が首に襲いかかる。
直撃はしたもののそれを耐える黒死牟。
しかし間髪入れずに、今度は斧が首元に飛んでくる。
それを黒死牟はなんとか刀で防ぐ。
託した未来
玄弥の血鬼術で生えた木が大量に血を吸っていること、そして無一郎の赤い刃による激痛で技が出せない黒死牟。
再び訪れる生命の危機に、縁壱との会話が走馬灯のように蘇る。
二人がまだ鬼殺隊にいた頃だった。
黒死牟、当時の巌勝は縁壱に今のままでは、自分たちに匹敵する実力者がおらず後継者がいないと訴える。
それに対し縁壱は自分たちはそんな大したものではなく、長い人の歴史の一欠片でしか無いと答える。
そして、今この瞬間にも自分たちを凌ぐ才覚の持ち主が生まれている。
彼らがまた同じ場所まで行き着くから何の心配もいらないと。
そう嬉しそうに語る縁壱に、巌勝は全く共感できずにいた。
しかし現に今、それが目の前で起ころうとしている。
行冥がぶつけた鉄球を、実弥が更に上から刀で打ち付ける。
ぶつかり合った力でみるみるうちに赤くなる鉄球と刀。
そして実弥は、その勢いのまま鉄球を押し込み、黒死牟の首を落としたのだった。
鬼滅の刃20巻175話の扉絵とタイトル考察
今回の扉絵は、炭治郎と禰豆子そして、縁壱と黒死牟の二組が描かれたものです。
同じ日の呼吸の使い手であり、同じ痣をもつ炭治郎と縁壱。
そして経緯は全く違いますが、兄弟が鬼になってしまったことも同じですね。
しかしその関係は対照的で、それがこの絵の、炭治郎に寄り添う禰豆子と、背を向け別のところを見ている縁壱と黒死牟、という立ち位置にも表れているのでしょうか。
エピソードタイトルは「後生畏るべし」ですが、この後生は”こうせい”の読み方の方です。
これは今後、自分に匹敵する剣士など表れないと思っていた黒死牟が、目の前の剣士たちに追い詰められている、その心情を表したものでしょう。
あえて”畏”の字を使っていることからも、そこには敬意も含まれていることがわかります。
鬼滅の刃20巻175話の名台詞
今回印象に残った台詞は縁壱の「いつか、これから生まれくる子供たちが、私たちを超えてさらなる高みへと登りつめていくんだ」です。
未来に託す、繋いでいくというのはこの作品で描かれている大きなテーマの一つでもありますが、それがよく伝わる台詞だと思います。
そして、そのことが理解できなかった、共感できなかったことが、巌勝が鬼になってしまった、大きな理由なのでしょう。
鬼滅の刃20巻175話の感想・考察まとめ
黒死牟の過去と、目の前で起こっている戦いが交互に描かれた今回。
無一郎に続いて行冥、実弥と次々刃を赤くさせていき、黒死牟を追い詰めることができました。
無一郎が刃を赤くできたた時は血筋からかと思いましたが、行冥たちもできるところを見ると条件は別のようですね。
ラストで首を落とすことには成功しましたが、猗窩座の例もありますし、まだまだ気は抜けません。
176話の展開に注目しましょう。
⇒鬼滅の刃176話